最後の参謀総長梅津美治郎は帝国陸軍の栄光と悲劇を物語る人物じゃね!?
軍人勅諭が発せられた日に生まれ、士官学校では乃木希典の次男乃木保典の同期で、彼と共に旅順要塞戦及び203高地の戦いに参加し、しかもその時の部隊は乃木希典が若い頃鍛えた歩兵第一連隊で、奉天会戦ではあの大石橋の惨戦も体験し(歩兵第一連隊の所属する第一師団が総崩れになりかけた)、第一次世界大戦も観戦武官として目撃でき、二次大戦では梅津・何応欽協定、2.26事件、ノモンハン事件、関東軍特種演習、終戦など様々な場面に遭遇した。梅津は2.26事件の反乱の鎮圧に当たったが、その原因として反乱を起こした第一師団がかつて奉天会戦での大石橋の惨戦の際大きな犠牲を払ったにも関わらず総司令部から督戦されたコトを屈辱とし師団管轄区域の人間が代々怨念のように受け継がれたのでは無いかと「名将 乃木希典と帝国陸軍の陥穽」という本に書いてあった。といってもその管轄区域は東京なんだけどね。反乱を起こした部隊にはかつて日露戦争の際梅津が所属した歩兵第一連隊もあったから、どれほど無念だっただろうか!?